1 はじめに
民法(以下「法」といいます。)611条1項では「賃借物の一部が滅失その他の事由により使用及び収益をすることができなくなった場合において、それが賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、賃料は、その使用及び収益をすることができなくなった部分の割合に応じて、減額される。」とされています。
同条同項による賃料減額の効力は、「滅失その他の事由により使用及び収益をすることができなくなった場合」に生じますから、「滅失」以外の事由でも「使用及び収益をすることができなくなった場合」には生じると読めます。具体的には、災害などによって家屋の一部が滅失した場合だけでなく、例えばテナントビルやオフィスビルでは、何らかの事由で、電気、水道、ガスなどのライフラインが使えない、場合がこれにあたると考えられます。国土交通省の「改正法施行に伴う民間賃貸住宅における対応事例集」(以下「対応事例集」といいます。)(PDF)や、公益財団法人日本賃貸住宅管理協会の「貸室・設備等の不具合による賃料減額ガイドライン」(以下「ガイドライン」といいます。)(PDF)では、設備が使用不能になった場合の擬律について提案が行われています。
この法611条1項は、令和2年4月1日民法改正前は、沿革的には危険負担(法536条1項)の賃貸借契約における特則(形成権化)と考えられていました。このため、といってよいかどうかは分かりませんが、実務的には、法611条1項による賃料減額が主張されることはほぼないといってよい状況でした。対応事例集やガイドラインなどで提案されている設備の使用不能については、修繕義務やその不履行に基づく損害賠償の切り口から解決が図られていました。
しかしながら、少なくとも改正後の法611条1項にあっては、対応事例集やガイドラインなどのように設備の一時的な使用不能を対象に含めるということであるとするなら、設備の使用不能は多くの場合修繕可能ですから、危険負担(賃貸人に帰責事由のない滅失による一方の債務の消滅が反対給付に及ぼす効果。債務の存続上の牽連関係)の問題だけでなく、これは使用収益させる義務の不履行の問題をも擬律する条項として整理されたと理解することになります。(一時的な使用不能を一時的滅失として危険負担に帰属させる発想はありうるかもしれませんがしかしそれは「危険」ではないような気もします。このような発想は危険負担の沿革からの逸脱の程度が過度である印象があり心理的抵抗感があります。)
他方で、既に引用しているように、法606条1項によれば、賃借人に帰責事由がない限り、賃貸人は、賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務を負います。こちらは正面から使用収益させる義務の不履行を擬律する条文で、使用収益させる義務から発生する賃貸人の義務です。そうすると、使用収益させる義務が完全には履行されない(できない)状況が発生した場合には、法611条1項による賃料減額の効果と、法606条1項の修繕義務の不履行の効果の双方を同時に考えて整理しておかないといけないのではないかと思うわけです。
2 たとえば
例えば、災害などの事由により賃貸人に帰責事由なく電気・ガス・水道などのライフラインが使えなくなった場合で、建物は滅失していない場合(賃貸借契約は終了していない場合)について考えると、法611条1項は、その規定ぶりから当然に賃料減額の効力を生じますので、使用又は収益ができなくなったときから再び建物が使用又は収益できるようになるまでの期間中、減額割合はともかくとして、賃料減額の効果が当然に生じます。
これと同時に、ライフラインの使用不能について賃貸人に帰責事由がなくても、賃貸借契約が存続している以上は、賃貸人は賃借人に対して法606条1項に基づき修繕義務を負うと解されています。このため、賃貸人は、賃借人に対して建物を使用収益させる義務を負いますから、ライフラインの使用不能の発生原因自体について賃貸人に帰責事由がない場合でも、建物を(部分的に)使用収益させることができない以上、使用不能になるのと同時に、使用収益させることが可能な状態にまで建物を修繕する義務を賃借人に対して負うことになります。
そして、賃貸人が建物をしない間は修繕義務の不履行となりますので、修繕義務が履行されないことによって賃借人が損害を被ったときは、修繕義務の不履行に基づき損害賠償請求権を取得することになります。上記の例で、法606条1項により賃料の80%が当然減額になったとした場合、残りの20%について賃借人は賃料の支払義務が存続します。反面、賃借人は実際には建物を契約の目的に従っては全然使えない、ということであるとするなら、法611条1項によっては消滅しない賃料の20%部分については、修繕義務の不履行に基づく損害であるとの立論が可能であると思われます。
この問題は、住居よりもオフィスや店舗、特に、小売店や飲食店などにおいて顕著と思われ、さらに、こういった事業目的の賃貸借契約では、営業することができないことによって発生する営業損害や、在庫商品・材料などの損害についての賠償も問題となります。
そして、そもそものこととしては、法611条が改正される以前から、修繕義務が履行されない場合の賃料支払義務の帰趨について、講学上、裁判例上、議論がありました。修繕義務に対応する範囲で当然に賃料の支払義務を免れるとか、同時履行の抗弁権を主張できるとか、修繕義務の不履行に基づく損害賠償請求権と賃料の支払義務とを相殺できるとか、そういうことです。実務レベルでは法律構成は意識されませんが、建物が使えないのに賃料の支払義務はないでしょう、という直感的な判断に基づいて、事実上賃料の支払義務は免れる(または損害として精算される)結論が指向されていたと感じています(もちろん、賃料減額の程度が争いになる場合はあるでしょう。)。
現在の法606条1項がない場合を想定するなら、前記の例でいうと、法611条1項によって発生するはずの80%の賃料減額については、少なくとも、修繕義務の不履行に基づく損害賠償請求として主張できそうです。このため、建物の一部滅失その他の事由による使用不能の擬律は、経済的には、法611条1項の改正があってもなくても同じ結論がもたらされるのではないかと考えられます。法律的な整理としては、改正法611条1項では、賃料減額の効果が当然に発生するように定められたために、まず法611条1項の効果を考えてから、法606条1項の効果を考える、という順序で整理することになるかもしれません。
3 本題
ところで、法606条1項の修繕義務は特約によって変更可能と解されていますが、法611条1項の賃料減額の効果も特約によって変更可能と解されます(いちおうの説明としては、危険負担を擬律する場合にあっては危険負担は任意規定と解されていることから、使用収益させる義務の不完全履行を擬律する場合には危険負担の問題ではないのでなおさら契約自由に属するものとして特約が可能と解されます。)。
法611条1項が現在の内容に改正された後の賃貸借契約書(店舗)で、自然災害など賃貸人に帰責事由なく建物が使用不能となった場合でも、賃料は減額しない、という趣旨の特約に接する機会がありました。この場合、この特約は有効と判断されるので、法611条1項による賃料減額の効果は生じないことになります。
ですが、その契約書では、修繕義務の免責については言及がありませんでした。そうすると、前記2.においてみたとおり、賃貸人は発生原因に帰責事由がなくても(不可抗力でも)使用収益させる義務の帰結として修繕義務を負いますから、修繕義務の不履行による損害賠償請求義務を負います。建物が使用できない状況であるのに賃料の支払義務を免れないとするなら、それは、修繕義務の不履行に基づく損害賠償として回復する(賃料と相殺する)ことが可能であるのではないかと感じました。
要するに、改正法611条1項による賃料減額の効果を特約によって排除しても、法606条1項の修繕義務をも免責しておくのでなければ、修繕義務の不履行の問題が残存するため、賃料は実質的に減殺されることになるのではないかと思われます。
そしてこのように発想する背景(実質的な価値判断)としては、やはり、「建物を使えないのに賃料は払わないといけない」という双務契約における対価的均衡が合理的根拠なく破られる結論に対する素朴な違和感、もう少しいうと、それが、賃貸人の交渉力の強さに基づいて実現してしまう場合があることに対する抵抗感があります。ここに、契約自由の原則と取引当事者間の実質的な公平との間における葛藤を感じます(不利な特約があっても借りたい賃借人がいるならそれでもよいかな、という気分と、そうは言っても破られてはいけないポイントはあるのではないか、という気分に引き裂かれます。リスクの定量的な評価が困難であることを承知の上でいうと、条項の建付けはできるだけフェアにしておいて、実質的なリスク分担は、賃料額の設定で実現するのがよいようにも思います。)。
ついでの整理として、以上にみてきたことから理解されるとおり、使用不能の発生原因自体に基づく法律関係の擬律と、使用不能状態が回復されないことに基づく法律関係の擬律は、区別して考える必要があるように感じます(当たり前のことではありますが。)。
4 大きな地震がありました
この原稿の問題意識についてあれこれ考えている最中であった令和6年1月1日に能登半島で大きな地震がありました。対応事例集やガイドラインは比較的短期間で修繕可能な局面を想定しているように読めますが、法611条1項と法606条1項の問題は、大震災の場合も同じです。但し、大震災による建物の損壊では、そもそも建物を継続使用することが可能であるのか(滅失=賃貸借契約の終了かどうか)が、問題になります。そして、滅失なのかどうかは、被災建物の外観だけからは判断がつかない場合があります。修復可能だけれど建替えたほうが良いという判断もあり得ます。このため、契約は当然に終了したのかどうか、契約解除権が発生する場合であるのか、修繕義務があるのか、修繕するのと建て替えるのとでいずれが相当と判断されるのか、当面の賃料支払いはどうするのか、解体するとした場合に賃借人資産の廃棄費用を精算できるのか、そもそも躯体の解体費用と区別できるのか、といった点で、賃貸人にとっても賃借人にとっても難しい判断に迫られます。まずは賃貸借契約が終了するのかどうか、終了するとした場合にはどうなるか、終了していない場合にはどうなるか、という順で、局面を解きほぐしてゆく必要があります。あきらめないで一つ一つ解決するしかありません。負けないぞ。