1 直近合意賃料の時点
借地借家法32条1項の賃料増減額請求について、その当否及び相当賃料額をどのようにして判断するかについては、参考にするべき最高裁判例があって、それによると「賃貸借契約の当事者が現実に合意した賃料のうち直近のもの(以下、この賃料を「直近合意賃料」という。)を基にして、同賃料が合意された日以降の同項所定の経済事情の変動等のほか、諸般の事情を総合的に考慮すべきであ」るとされています(最判H20.2.29集民227ー383)。
直近合意賃料の時点は、不動産鑑定評価基準にいう「直近合意時点」と同義と考えてよいと思います(違うものだという議論は見当たりません。たぶんありません。ここは最高裁が不動産鑑定評価基準に寄せて行っているとみられます。)。
「直近合意賃料の時点」がいつであるかは、継続賃料の鑑定評価において大きな意味を持ちます。それがいつかは容易に定まる場合が多いと思いますが、これは実質的な判断・評価を含みますので、必ず「誰が見てもココ!」と一時点に決まるとは限りません。このため「直近合意賃料の時点」は具体的にいつなのかという点を巡って、契約当事者間で認識が合わない、争点になる、ということが起こります。
2 不動産鑑定評価基準に関する実務指針と最判
不動産鑑定評価基準に関する実務指針-平成26年不動産鑑定評価基準改正部分について-(PDF)(221頁)では、次のような例は「一般に」直近合意時点の判断として「妥当でないと判断される場合」とされています。
・賃料自動改定特約があり自動的に賃料改定がされている場合に、当該自動的に賃料が改定された時点を直近合意時点としている場合。(①)
・賃料改定等の現実の合意がないまま契約を更新している場合に、当該契約を更新した時点を直近合意時点としている場合。(②)
・経済事情の変動等を考慮して賃貸借当事者が賃料改定しないことを現実に合意し、賃料が横ばいの場合に、当該横ばいの賃料を最初に合意した時点に遡って直近合意時点としている場合。(③)
そして、最初に紹介した最判H20.2.29集民227ー383では、上記の①のように判断した原審の判断に、法令の適用を誤った違法があるとしています。「本件自動増額特約によって増額された純賃料は、本件賃貸契約締結時における将来の経済事情等の予測に基づくものであり、自動増額時の経済事情等の下での相当な純賃料として当事者が現実に合意したものではないから、本件各減額請求の当否及び相当純賃料の額を判断する際の基準となる直近合意賃料と認めることはできない。」
この判断の当否は微妙で、別の判断もあり得ようかと思いますが、これが現在の最高裁の立場です。なお実務指針は前記最判より時期が後なので、実務指針が前記最判の判断に合わせていったものと思われます。上記の②も①と同じ発想で理解が可能です。
上記の③については、「経済事情の変動等を考慮して賃貸借契約当事者が賃料改定しないことを現実に合意し」という局面が架空のものと感じます。双方賃料の額に問題意識がなければ、交渉自体がそもそも通常発生しないので、当該賃料について改めて「現実に合意」するという事象は通常発生しないでと思います。
3 裁判例(神戸地裁H30.2.21)
この「直近合意賃料の時点」がいつかについて、具体的に判断した裁判例として、神戸地裁H30.2.21というのがあります。これは私が原告代理人として関わった事件です。
この件は、基本賃料+歩率賃料で構成される商業施設の事案です。原告は、「原契約締結時点」(H7.10.1)が直近合意時点と主張していて、被告は、「変更契約の時点」(H17.9.1)が直近合意時点だと主張されました。変更契約の主旨は、賃貸借の範囲の拡張的変更なのですが、付随的に歩率賃料の率が変更されていました。なお、「変更した事項以外については、原契約に係る契約書で定めるとおりとする。」という趣旨の文言の条項もありました。被告は、この変更契約の時点が前回合意時点だと主張してきたのです。(詳しくは判決文に当たってください。)
これに対して、裁判所は、最判H20.2.29集民227ー383を引用した上で、「当事者が、賃貸期間が開始した後のある時点において、その当時の経済事情等をも踏まえ、従前の賃料を減額若しくは増額し又は据え置く旨を合意した場合には、当該時点は、直近合意時点に当たるということができる。もっとも、当事者が、その時点で、その当時の経済事情等を踏まえることなく、単に従前の賃料額を確認し、又は対象面積の変更のみを理由に賃料額を変更したにとどまるような場合には、当該時点は、直近合意時点に当たるとはいえない。」とし、「本件賃貸借契約において、基本賃料(毎月固定した額)は最低保証賃料としての性質を有し、歩合賃料(毎年変動する額)と相まって全体として被告の賃料収入を構成するものであると解される(甲38参照)。したがって、Aと被告は、本件変更契約1及び2において、本件原始契約1の定めた歩合賃料の算定方法(売上基準高,歩合率等)を変更するに当たっては、当然、その当時の経済状況等に照らし、他方の基本賃料の額が相当であるか否かも検討しているものと解される。」と判断しました。
というわけで、前回合意賃料の時点の判断に関して、次のいうことができると思います。
歩率賃料(歩合賃料)の率を変更すると、基本賃料が据え置きでも、その時点が基本賃料についての前回合意時点であると判断されることがある。
「本合意書に定めるもののほか、原契約に定めるとおりとする。」という条項だけだと、通常は、前回合意時点とは判断されない。
4 その他
この裁判例では、前回合意時点に争いがあることを踏まえて、裁判所鑑定は複数の前回合意時点を設定して行われました。いずれの鑑定結果も結論は減額でしたので判決の結論は減額となっています(賃料月額3639万6740円(税別)が3490万9000円(税別)になりましたので4%減です。)。
結論としては、前回合意時点の判断が訴訟前の想定からブレたために減額幅を削られた、という事案になっています。この事案では、共益費も借地借家法32条で争ったりなどしています。賃料増減額訴訟は、裁判所鑑定に入るまでの弁論で、裁判所鑑定が自分に有利になるように主張を仕掛けてゆく必要があります。また、裁判所は不動産鑑定評価基準に拘束されないので、不動産鑑定評価基準の枠外でも有意と判断されるアイデアは仕掛けてゆくことになります。